
9月15日(月)
生善院
寛永2年(1625年)に創建された真言宗の寺院で、その観音堂と厨子が平成2年9月11日付で国の 重要文化財 に指定されています
この寺には、江戸時代のある悲劇と伝説が根付いており、無実の罪で殺された僧・盛誉法印とその母・玖月善女、そして愛猫「玉垂(たまだれ)」にまつわる物語が伝えられています
それが理由で、「猫寺」の通称が広まり、山門の両脇には狛犬ならぬ「こま猫(狛猫)」が参拝者を見守る姿も見られます




生善院を訪れたとき、境内に咲く真っ赤な彼岸花が目を引き、花の群れが古い建物との対比を際立たせていました
猫寺と呼ばれるこの場所の静かな佇まいと、色鮮やかな花の色彩が混ざり合って、まるで時間がゆるやかに流れるような感覚に包まれました
湯前町観光物産協会 湯~とぴあ
湯前町観光物産協会が運営する「湯〜とぴあ」は、くま川鉄道の湯前駅のすぐ隣に位置する地域交流・観光拠点施設です
館内には地元の農産物・果物・銘菓・工芸品・加工品など、湯前町の“味”と“技”を伝える特産品が並び、訪れた人々に地域の魅力を伝えるショーケースとして機能しています






ずらりと並んだ くま川鉄道のグッズ に思わず目が留まりました
記念切符やキーホルダー、缶バッジ、クリアファイルなど、鉄道ファンにはたまらないアイテムが所狭しと展示されていて、列車の思い出を持ち帰れる場所としてのありがたみを感じました
多良木えびす物産館
多良木町にある えびす物産館 は、くま川鉄道・多良木駅に隣接する地域の物産館で、屋根の上に鎮座するえびす様の像が目印です
館内には多良木町内で栽培された新鮮な野菜や果物、花などが朝どれの状態で並び、加工品や郷土菓子、山の産物・ジビエ、木工工芸品など、多彩な商品が揃っています
物産館は、ただ商品を売る場というだけではなく、生産者と消費者が出会う交流の場としても機能しており、早朝から訪れる人が多く、品切れになることもあるほど賑わいがあります




多良木えびす物産館を訪れたら、ちょうど たらぎぐるめスタンプラリー が開催されていました
スタンプを集めるために地域の飲食店や物販店を巡るという企画で、500円以上の飲食または買い物でスタンプが押してもらえ、異なる店舗のスタンプを3つ以上集めると抽選に応募できるようになっているようです
池田精肉店
創業70年を超える地元に根ざした老舗の精肉・惣菜店です
この店では、国産鶏肉を使った唐揚げや手作りトンカツなどが特に人気を博しており、「肉屋ならではの揚げものクオリティ」という評判も聞かれます




池田精肉店の唐揚げは、まずその 香ばしい香り に心をとらえられます。ひと口かじると外側はパリッとした食感が楽しめるのに、中はじゅわっと肉汁があふれて、鶏肉本来の旨みがストレートに伝わってきました
一方、コロッケは “ほくほく感” が印象的で、じゃがいもの甘みと滑らかな舌触りが口の中に広がります。衣の香ばしさもいいアクセントになっていて、肉屋さんならではのこだわりを感じられる一品でした
9月16日(火)
魚背岩
あさぎり町・深田地区にある 魚背岩(ぎょはいがん) は、球磨川の川床に露出した岩が、まるで魚の背が水面から出ているように見える自然景観です
この岩並みは、川の水流や流砂が長年にわたって溶結凝灰岩を削り、細長く残された岩肌が連なって魚の背を思わせる形状を形成したもので、地質学的にも興味深い地形とされています

球磨川と空の青があまりにも鮮やかで、まるで絵画の中に溶け込んだかのような風景でした。流れる水の透明さと岩肌の佇まい、そして頭上に広がる空の深さが、息を呑むほどに美しく調和していました
湯前の古代史と『潮神社の謎』
湯前町およびその周辺地域の神話・歴史的背景と、潮神社にまつわる謎をテーマに据えており、「神話と歴史の接点から見えてくる古代湯前の物語」を切り口に語られる内容でした。
講師は、湯楽里の経営アドバイザーを務める 黒澤大二郎氏。場所は湯楽里2階の体験研修室で、18:30から約2時間を見込んだプログラムで進められました。




講師が語る言葉ひとつひとつに、神話と歴史、伝承と実証が交錯していて、「目に見えない過去」がゆっくりと立ち現れるような気持ちになりました。聞き慣れない地名や古代の祭祀の話が、今この場所と線でつながって語られる様子に、土地そのものの重みや物語を感じずにはいられませんでした。
おくんち祭勉強会
この勉強会は、青井阿蘇神社奉賛会が主催し、神社・祭りの歴史や文化、地域におけるおくんち祭の意義を改めて学び直すことを目的に企画されたものです。
勉強会では、1,200年以上の歴史を持つおくんち祭の起源や変遷、お祭りに関わる神事や儀礼、さらに祭を支える地域の役割やまちづくりとの関係などが解説され、地域文化への理解を深める場となりました。






周囲の参加者の頷く姿やメモを取る手元からも、それぞれがこの祭りに対して真剣に向き合っていることが伝わってきて、終わったときには自分の中でも“祭りとの向き合い方”を考え直したくなるような時間になりました。
青井阿蘇神社
おくんち祭の準備が進んでいました

来月にはおくんち祭が開催されます
このブルーシートの部分で球磨神楽を観れることに幸せを感じました
9月17日(水)
錦町の風景
錦町一武でくま川鉄道とすれ違いました

夕焼けを背に、くま川鉄道の列車が静かに走っていく
オレンジの光が車窓を照らし、風景がひとつの物語に見える瞬間
そんな、人吉球磨の風景です
多良木駅
多良木駅は、熊本県球磨郡多良木町大字多良木に位置する、くま川鉄道湯前線の主要駅のひとつです。
駅の周辺には町役場や商店街、温泉施設、町立中学校などがあり、地域暮らしとの結びつきが強い交通拠点となっています。

多良木駅の提灯がふっと灯ると、『球磨川盆祭』の夜がもうすぐ近くに来てると感じます
高校生たちが丁寧に飾り付けた灯りは、町の心を映しているようで、祭りの日が待ち遠しくなりました
9月28日の球磨川盆祭、今年はえびす広場で開催されます
9月18日(木)
一勝地阿蘇神社
一勝地阿蘇神社(いっしょうちあそじんじゃ)は、熊本県球磨郡球磨村一勝地に鎮座する由緒ある神社で、その創建は大同2年(807年)と伝えられています。
この神社の主祭神には 阿蘇三柱神(健磐龍命・阿蘇都比売命・速瓶玉命) が祀られており、さらに大正2年には 大山祇神九体 および 弥都波能売神(みづはのめのめのかみ) が合祀されたことで、信仰の範囲・深みが増しています。
また、合格祈願や勝負運向上を願う参拝者が多く、一勝地駅で購入した入場券や焼酎を持って参拝すると“ご利益が2倍・3倍になる”という言い伝えもあり、参拝と願掛けを兼ねた巡礼スポットとしての性格も併せ持っています。






山あいに静かに佇む一勝地阿蘇神社に足を踏み入れると、凛とした空気が全身を包んで、心が自然とひきしまるようでした。小ぶりな境内には、願いを託した無数の絵馬や参拝者の祈りがしのばれるお守りたちが並び、ここが「勝負」「合格」の願掛けで訪れる人の拠り所であることが実感できました。
相良橋
球磨村に架かる 相良橋(さがらばし) は、熊本県が管理する橋梁の一つで、令和2年7月豪雨で被災した後、架け替え・復旧工事の対象となっている重要な橋です。


復旧工事を目の当たりにして、ただ日常を取り戻すためのインフラ整備ではなく、「地域の命をつなぐ架け橋」を再建しようとする力強さを感じました。
渡阿蘇神社
令和2年7月の豪雨災害によって旧社殿が全壊した渡阿蘇神社は、新しい位置への 遷座・再建 が行われており、新社殿は 令和7年8月11日 に落成式を迎えました。
再建にあたっては、旧鎮座地の山口地区から高台の峯地区へと神社の位置を移す計画が採られ、これにより洪水などへの耐性を強化する意図も込められているようです。






高台へ移転された新しい渡阿蘇神社に足を踏み入れると、まるで地域と時代がつながるような力を感じました。令和7年8月に竣工されたばかりの社殿は、清らかな木の香りとともに、雨災に負けない祈りの意志をまとって佇んでいて、過去とこれからとをつなぐ架け替えのようでした。
那良口駅
那良口駅(ならぐちえき)は、熊本県球磨郡球磨村に位置する JR 九州・肥薩(ひさつ)線の無人駅です。もともとは貨物や木材輸送を目的に設けられた駅で、明治~大正期から地域の交通拠点としての役割を担ってきました。
この駅は 令和2年7月豪雨災害 による甚大な被害を受け、那良口駅と渡駅の間に架かっていた「第二球磨川橋梁」が流失するなど、線路設備に大きな打撃を受けました。






廃駅が決まっている無人駅ですが、駅舎が丁寧に掃除され、窓やベンチ、小さな待合所まわりまで地元の人に愛されてきたことがひしひしと伝わってくる場所
駅を守りたいという声、廃止後も壊さずに利活用を希望する声、この駅はただの“通過点”ではなく、心のよりどころです
毎床大桜
熊本県球磨村三ヶ浦・毎床地区の杉林の中にひっそりと佇む一本桜で、地域の自然景観として知られています。
この桜は、高さ約15メートル、幹回りは3メートル以上にも達する堂々たる桹(やまざくら)の大樹で、樹齢はおよそ300年と推定されています。

桜はもちろんもう葉桜の季節だったものの、その堂々たる樹形と静けさが風景に深みを与えてくれていました。
桜のピーク時とは違う「佇まい」の美しさを味わえた場所で、季節の移ろいを肌で感じることができた旅の一コマになりました。
毎床地区の風景
毎床地区(球磨村三ケ浦毎床)は、球磨川左岸の那良川上流域に位置し、標高およそ250メートル前後の傾斜地に広がる里山の集落です。
この地区は「一勝地梨」の産地としても知られており、100年以上続く梨栽培を基盤に、地域農家が多品種栽培や販路開拓に取り組んでいる姿も見られます。




あちこちの梨園で実った梨の実が枝に揺れていて、その豊かさに驚きました。瑞々しい実が風に揺れるその様は、自然の恵みと農家さんの手仕事の結晶のようで、緑に包まれた里山の風景に豊かな表情を添えていました。
9月19日(金)
柴立姫神社
柴立姫(しばたてひめ)神社 は、“しばがみさん” の名で地元に親しまれ、子宝・安産・婦人病・腰から下の病などに御神徳があると伝えられる神社です。
この神社は旧人吉街道に沿っており、JR肥薩線の一勝地駅から車で約10分ほどの場所に位置しています。
目立つのは、男性器を模した巨大な木製の像(ご神体)で、参拝者の目を強く引きつけます。





柴立姫神社を訪れて、まず目を引いたのは 木製の男根オブジェ の存在感。境内には大小さまざまな “奉納物” が並び、神社の持つ信仰の重みと、祈りのかたちの多様さを感じました。
一勝地
球磨村にある 一勝地(いっしょうち) は、球磨川沿いに広がる自然豊かな地域で、風光明媚な景観と文化的な魅力を併せ持つ場所として知られています。
この地名は、明治時代の村名見直しの際に「一升内(いっしょうない)」など複数表記の候補があった中で、“勝利”の縁起のよさを重視して「一勝地」に定められたという説も伝わっています。

一勝地を訪れた際、その 球磨川と空の青さ がひときわ印象に残りました。澄んだ水面に映る空の色と、遠くに広がる青空が境界を曖昧にして、まるで川も空もひとつになっているような感覚を覚えました。
清正公岩
「清正公岩(せいしょうこういわ)」は、芦北町と球磨村との境界あたり、球磨川沿いにそびえる大岩で、地域のランドマーク的な自然景観として知られています。
この岩は、かつて加藤清正が人吉方面を攻めようとした際、この大岩の上に立って上流を見渡したところ、険しい地形や球磨川の激流を目の当たりにして攻めを断念した――という伝説が伝わる場所です。
また、「清正公岩より先は相良に呉れる(くれる)」と告げて引き返した、あるいはその岩の上で軍配を振った、という話も残されています。

球磨川沿いにそびえる清正公岩に立ち寄ると、その岩肌の迫力と川の流れが織りなす景観に思わず息を呑みました。周囲には「槍倒しの瀬」「舅落としの岩」など、険しい岩々が連続して風景を構成しており、自然の力強さを感じさせる地形が印象的でした。
大橋ライトアップ
「大橋」が 夜間ライトアップ されており、毎晩 17:00 ~ 23:00 の時間帯に、橋梁と川面が照らされる幻想的な光景が楽しめます。
このライトアップは、令和2年の豪雨被害からの復興過程で策定された「あかりの社会実験」プログラムの一部として実施されるもので、「まちなかグランドデザイン推進アクションプラン」に基づく都市照明の試みのひとつです。




川面に映る橋の灯りが静かに揺れて、まるで川も一緒に呼吸しているような風景に見えました。淡く温かい光が川の流れをなぞり、暗がりの中に美しい光の帯が浮かび上がる様子が、思わず立ち止まらせるような風情を醸し出していました。
9月20日(土)
上村白髪神社
上村白髪神社(あさぎり町上南・球磨郡)は、青井阿蘇神社の流れをくむ上村相良氏の氏神として、地域の人々に長く信仰されてきた神社です。
御祭神には鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、彦火火出見尊、彦五瀬命、稲飯命、三毛野命、磐余彦命の六柱が祀られており、安産や雨乞いの神として、代々相良氏および地域住民の祈願を受けてきた歴史があります。








周囲の森に守られたようなこの神社の佇まいは、訪れる人に “内省” と “つながり” を気づかせてくれる場所だと感じました。
下戸越町の風景
下戸越町は人吉市の中でも生活基盤のある区域であり、観光宿泊や地域生活がバランスよく存在する町です。




三日原観音堂へ続く道の彼岸花と稲穂が揺れる田園風景は空の広さ、雲の陰影、土の香り—「夏目友人帳」の世界が少し現実に溶け込んだような、そんな気持ちになる道のりでした。
9月21日(日)
内山観音堂
内山観音堂(うちやまかんのんどう) は、相良三十三観音霊場の第19番札所として長く信仰を集めてきた観音堂です。この観音堂の起源は、久寿元年(1154年)、平河三郎師高が有智山寺(萬福寺)を建立した場所に由来するとされ、当初はその本堂として機能していたものと伝えられています。本尊は 千手観音菩薩像(坐像) で、安産・病気平癒のご利益を願って多くの人々が参拝してきました。








観音堂の扉が開かれ、普段は窺い知れない仏像や厨子が目の前に現れると、その荘厳さと歴史の深さに息を飲みました。堂内に差し込む柔らかな陽光が木彫りの彫刻や仏具に影を落とし、空間に静けさが満ちて、落ち着いた時間が流れていました。
栖山観音堂
多良木町にある 栖山観音堂(すやまかんのんどう) は、相良三十三観音霊場の第23番札所として位置づけられ、深く信仰を集めてきた観音堂です。この観音堂は、森の中の静かな場所にひっそりと佇み、駐車場から113段の石段を登った先にお堂がある、自然との一体感を味わえる構造となっています。本尊は 千手観音像 で、その像は平安時代後期~鎌倉時代にかけてのものと推定され、身長約283センチメートルという球磨郡内でも最大級の観音像とされています。








普段は閉ざされている扉が開かれ、本尊や脇侍、堂内空間がしんとした気配のなかで現れる瞬間の荘厳さに心を打たれました。秋の日差しが観音堂の木組みに柔らかく差し込み、彫刻や仏具に影を落とす様子は、時間そのものがゆるやかに動いているような感覚を与えてくれます。
青蓮寺阿弥陀堂
多良木町にある 青蓮寺阿弥陀堂(しょうれんじあみだどう) は、国指定の重要文化財にもなっている歴史的な仏堂で、鎌倉~室町期の建築様式を今に伝える仏教遺構として知られています。この堂が建てられたのは、1295年、上相良家の三代頼宗が初代・頼景の菩提を弔うためと言われ、その後、頼景の夫人・青蓮尼の位牌所として「青蓮寺」も建立されたとの伝承があります。内部には、木造の 阿弥陀如来像 を中心に、両脇侍として観世音菩薩立像と勢至菩薩立像が安置されており、これらの仏像も重要文化財に指定されています。また、堂裏の林には上相良家ゆかりの 五輪塔・板碑などの古塔碑群 が点在しており、地域と相良家の歴史を物語る風景も残されています。

木造阿弥陀如来及び両脇侍立像(三尊像)

木造地蔵菩薩立像

青蓮寺古塔碑群



普段は閉じられている扉が開かれ、内部の荘厳な空間や仏像群が静かにその姿を現す瞬間には、時が止まるような感覚さえ覚えました。
多良木町里の城大橋周辺の風景
里の城大橋は地域のランドマークとしての性格も強く、町北部と中心部とを繋ぐだけでなく、観光客の流入や町の活性化を見据えた施設との連携も意図された橋梁であるという期待も込められて整備された橋です。




多良木町の里の城大橋の周辺で、赤く鮮やかな彼岸花が橋のたもとから川岸の斜面にかけてたくさん咲いている風景を見て、思わず足を止めました。真っ赤な花々が風に揺れて、季節の訪れを強く感じさせる、心に残る秋の風景でした。
中山観音堂
多良木町久米にある 中山観音堂(なかやまかんのんどう) は、相良三十三観音巡礼の第28番札所として信仰を集めるお堂で、地域文化・歴史の中で重要な位置を占めています。この観音堂は、かつてこの地にあった中山寺の本堂に由来するとされ、室町時代に建てられた建築と考えられており、町の指定文化財にも定められています。本尊には 聖観音菩薩立像 が祀られ、両脇に 四天王像 も安置されており、これら仏像は平安時代の作と推定され、熊本県の文化財としても価値の高いものとされています。








聖観音様の慈悲深く穏やかな表情と、四天王が堂を守るように佇む姿が印象的で、私のお気に入りの観音堂です
宮原観音堂
宮原観音堂は、熊本県球磨郡あさぎり町岡原北に位置する仏堂で、相良三十三観音の第29番札所として広く信仰を集めています。この観音堂は、桃山〜江戸時代の建築様式を残す佇まいで、正面が三間、両開きの扉を備えた構成とされ、内陣と外陣に分かれた二室構造が特徴です。堂と厨子は、県指定重要文化財として保護されており、歴史的価値の高い建造物となっています。堂内には木造の 聖観音菩薩坐像 が本尊として安置されており、この仏像は江戸時代の作と伝えられ、平成16年には修理を経て現在の姿に蘇りました。












桃山~江戸期の厨子や堂宇の格式がすぐそばに感じられて、その歴史の厚みが息づく場所だと実感しました。茅葺の屋根をまとったお堂が緑に囲まれて佇み、聖観音坐像が厳かな表情を見せるさまが、静寂と祈りの時間を演出していました。
秋時観音堂
あさぎり町の 秋時観音堂(あきときかんのんどう) は、相良三十三観音の第30番札所として信仰を集める観音堂です。本尊は 十一面観音菩薩立像 で、もとは永里城(ながさとじょう)の菩提寺・珠宝寺(しゅほうじ)から移されたものと伝えられています。脇侍として 毘沙門天像 や 天部形立像 も祀られており、これらは室町時代の作とされる仏像です。この観音堂は、「ボケ封じ」のご利益があるとされており、特に秋の彼岸時期には健康を願う参拝者が多く訪れるとされています。








静かな秋の空気の中、普段は扉の閉じられている秋時観音堂の扉が開き、堂内の十一面観音菩薩像や毘沙門天像・天部形立像が柔らかな光のなかに浮かび上がる様子を目にすると、歴史と信仰の深さに胸が響きました。